自分に刺激されること

11月の展示まで、あと少し。

準備する事に終わりはなく、まだなにかできるんじゃないか。
こういう見せ方はどうだろう。
常に展示のことが頭の中でぐるぐる回る。
グループ展ではなく、個展。
全然違った緊張感で、胸がぎゅっとなる。
目まぐるしく過ぎていく普段の生活とは別に、展示の予定などが入ると、
夜中起きてか、早朝の作業が多くなる。
やらなくちゃ、と思う作業を前に、白い紙に目をやると。
思うままに筆が踊り出すときがある。
作業とはまったくちがう、自由な白い紙の上。
わくわくする気持ちだけで描き上げられていく絵。
今回は、眼鏡をかけたもじもじねずみちゃん。
描き出したら、いろんな眼鏡を描きたくなった。
この瞬間が、めちゃくちゃ楽しい。
やらなくちゃ、はそっちのけ。
描きたい!楽しい!だけの時間。
こんな時間に遭遇したとき、いつも思い出す言葉がある。
高校生の時。
美術の先生。
卒業制作で、階段の壁一面に描いた絵を貼りだした私。
ロッカーを中古販売店で購入し、自分の作品や落書きでいっぱいにした小部屋を作った私。
そんな私を見た、先生が言った。
「さゆりは周りの誰かじゃなく、一歩踏み出してみた自分に刺激を受けて作品を作るんだからね」
もっと自由に、もっと楽しく。
そう思っていた私は、なんだか解ってくれる人がいた!という感覚になり、嬉しかったな。
こんな記事を温めている間に、個展3日目になりました。
お天気の良い1日、おでかけの予定にいれてもらえると嬉しいです。

はんこうき、くだしゃい。

夜、とっくに夕ご飯を食べ終わって、眠る前の団欒の時間。

父が帰ってきても知らん顔、自分の部屋でゲーム三昧の小5息子について、夫婦で話していた。

とうとうきたか、反抗期。
声をかけても上の空。頭から足のつま先まで、ゲームに埋め尽くされているんじゃないだろうか。
(いや、彼はゲームと食欲か。)
反抗期、というフレーズを、何度か口にした気がする。
そんな話をする私たちの元へ、おねえちゃんとテレビを見ていた、
腹巻き付きパジャマを着た3歳の息子が、とことことこ、とやってきた。
そしておもむろに、
「えっとお、はんこうき、くだしゃい。」
「おなかがすいたからからね、はんこうき、くだしゃい。」
ぷっ、と口から漏れてしまった。
反抗期、ください。
彼は、なにか美味しいものだ、と思ったのだろう。
『はんこうきってどんなの?』と聞いてみる。
「えっとお、まるいかたちの。』
『どんな味がするの?』
「チョコレートのあじするの。」
それはそれは美味しそう。
チョコレート味の丸い、反抗期。
アンバランスだけど、なんだか悪くない気がしてきた。
小五男子のちょっとした反抗期も、面白がっておこう。
3歳の彼は、今日もおやつの時間にこう言っている。
「はんこうき、くだしゃい!!」

雨の朝

最近、さあでかけようと計画していた日は

いつも雨だ。
今日の朝も、目が醒める前から聞こえていた雨音に
ああまたか、と悲しくなった。
子ども達と出かける時、雨が降っていると厄介だよなあ。
傘を折りたたんで車に乗る瞬間とか。
水たまりとか。
寝起きのボーとした時間の中、
頭の遠くの方で、自分って勝手だな、と思う。
子どもの時、台風が来る前に明日学校が休みになるかもとわくわくした事、
日照りが続いて庭のトマトが枯れそうな時の事、
遠足の前日、ずっとお天気とにらめっこした時の事。
いつだって空の様子にやきもきしている自分。
雨の日も、ちょっと楽しみになるように、新しい傘でも買おうかな。

10月のひまわり

 夏の終わりに  植えた、小さなひまわりが咲いた。

頼りなくゆらゆら揺れている姿は、思い描くひまわりと少し違う。
茎も立派でしゃんとしている、
真夏の、太陽に向かって咲く大輪の花。
ここに在るのは、
茎も細く、強い風が吹くとたちまち折れそうになる、そんなひまわり。
おかあさん、というイメージ像にも似ているかも、とふと思う。
つよく、やさしく、しゃんとして、包み込むような温かさ。
私は10月のひまわりのような、頼りない母ではないかな、とも考える。
少しの風で、心は右へ左へ大きく揺れる。
「このひまわり、小さくて、かわいくて、おもしろいなあ。」
娘の言葉が、ちょっと嬉しかった。

芝生の上で展覧会

いま、やってみたいこと。

芝生の上で展覧会。
とっても素敵な場所を見つけたんだ。
ごろん、と子ども達が寝転んだり、駆け回ったり。
子どもの作品から、高校生、おじいちゃん、はじめて出会うアーティスト、有名なあの人。
ぜーんぶ、ごちゃまぜ。
ステージでは、絵本を読んでくれたり、踊ったり、劇を見たり、楽しくなってきたら、君もステージに上がっていいよ。
お母さんは、必死に子どもを追いかけたり、怒ったりしなくていい。
ルールはないよ。
誰かとぶつかったり、作品にぶつかったら。
危ないことと、大切なものを大切にする方法をみんなで教え合う。
小さな思いやりの心と、大きなわくわくをポケットに入れてきてね。
いつか、叶ったら、は
もうやめた。
仲間は揃ったよ。
さあ、いま!


 

自分にルールを課すのをやめた

毎日、思うようにいかないことの連続である。

  
 
午後3時。
今日は張り切って、金平牛蒡を作ろう、と考える。
牛蒡を刻み始めたその時、公園へ行きたいと子が言う。
えー、ちょっとまって、と言う言葉を聞き終わる前に、公園へ飛び出していってしまった。
(幸か不幸か家の裏に公園がある)
6歳、3歳、公園にほっておくことも出来ない。
代わりに牛蒡をほったらかして、急いで公園へ着いてゆく。
近所のあの子も、この子も、みんなでブランコ、ドッチボール、滑り台、リレー、鬼ごっこ。
こども達は疲れ知らずだ。
牛蒡の事が頭にチラつく。
ちょっと前の私なら、この時点で焦り、なかなか帰らない子ども達にイライラしていた。
だって、今日の夕飯は金平牛蒡って決まっているのだから。
早く帰って、早く作らなくちゃ。
さあ、早く早く!
まだ遊びたいと言っている子どもを連れて帰る労力、
そして時間に追われて作った金平牛蒡をほとんど食べない子ども、
金平牛蒡を作ると決めた自分に、自分が苦しめられていると気づいたのはほんとうに最近。
チャイムが鳴り、5時を知る。
子ども達の足は真っ黒け、もうこのままお風呂へ直行だな。
あー、そういえば、夕飯。
今日はちゃんとご飯は炊いてきたぞ。
うん、目玉焼きか卵焼き、ウインナー焼いて、納豆食べたい人は自由に食べて。
思いっきり遊んだ後の、こんな夕食を、子ども達は喜んで食べる。
そんなかんじで流れて行く毎日にも、それでいいよね、無理しなくていいじゃん、って、
子育てをはじめて11年、ようやく思えた。
ただここまで書いて、ひとつ。
金平牛蒡が張り切った日のおかずなのは、うちだけかも知れないと思うと、ちょっとだけ、恥ずかしくなった。
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